pygmy with bitter ends
 長くて覚えにくい名前である。だから、ファンやメンバーの間では略して“ビタエン”と呼ばれている。敏いとうとハッピー&ブルーを略して“ハピブル”と呼ぶのと同じ方式だ。内山田洋とクールファイブを“クールファイブ”と呼ぶのとは、ちょっと違う。
 さて、そのビタエンについて、これからなんやかんやと書かなくてならないわけだが、どうにもやる気が湧かない。文豪っぽくいうなら、筆が進まないというやつだ。
 どうして僕がこんなに筆が進まないのかというと、今回のこの原稿書きの仕事がロハ(つまりギャラなし仕事)だからである。
 ライターという仕事を始めて十数年、日々の日銭稼ぎのみに全精力を注ぎ続け、ギャラが発生しなければ日記すら書いたことがない僕にとって、報酬なしに原稿を書き始めるという行為は、充電の切れた電動自転車で急坂を登るのと同じくらいしんどいことなのだ。
 だいたい常識のある発注者なら、ギャラが払えないときには代わりに焼き肉のひとつも食べさせてくれるものだが、このビタエンの面々は、驕るどころか、打ち上げの飲み代まできっちり回収するという銭ゲバ(ジョージ秋山)である。
 もしかすると彼らは、今流行りの“ロハス”と“ロハ”を勘違いしているのかもしれない。そうだとしたら、この先、彼らが恥をかく前に教えておいてあげなくてはならないだろう。
 
 それはさておき、では、そんな僕がなぜ今、こうして原稿を書き始めているのか? もちろん、「友達に頼まれたから断れない」というのがその理由の9割9分9厘を占めるのだが、残る1厘の大事な理由は、なんといっても、ビタエンの奏でる音楽、そして、ビタエンというバンドそのものの魅力に、どうにも魅せられてしまったからに他ならない。
 といっても、ビタエンを音楽的な側面から説明するのは、これがなかなか容易ではない。 正直、やればできないことはないが、過去の様々な音楽を引き合いに出して説明したところで安っぽくなるだけだし、そもそも「そういうのはギャラが出るときにだけやりなさい!」というのが死んだお婆ちゃんの遺言でにあるので、今回はあえて割愛させていただく。
 ただ、ひとつだけ言えることは、ビタエンの音楽というものは、一度聴いたらずっとずっと耳に残ってしまうほど、ホントに印象深い曲ばかりだということ。
 実際ここ数年、運転しているときや風呂に入っているときやトイレでしゃがんでいるとき、ヨレヨレのジャージ姿でコンビニへ買い物に行くのを近所の奥さんに見つかって気まずいときや、そのコンビニで100円玉だけで買い物をして女子高生のバイトの子に鼻で笑われたときなどに思わず口ずさんでいたのは、いつもビタエンの曲だった。
 僕が考えるビタエンの魅力は、その一点に集約されるといってもいいだろう。

 そんな愛しい曲たちを、難産を続けながら産み落とし続けているのが、pygmy with bitter endsの“ピグミーのほう”(光GENJIでいうところの“光”のほう)こと、noriboooooneである。
 以前は「PG」の名でGQ06のメインボーカリストとして活躍していた彼が紡ぎ出す楽曲たちは、普段は触れられることはないが誰もが必ず持っている心の奥のヒダの隙間に、気がつくとスッと入り込んでくる。そして、その大事なヒダの奥をグリグリとこじあけて、中を覗き込んでは「ふ〜ん」と訳知り顔で去っていってしまう。
 その結果、ビタエンの音楽を耳にした後はいつも、その心のヒダの奥に、なんともいえぬ切なさだけがポツンと取り残されるのだ。
 今年亡くなった“歌謡界の小さな天才”阿久悠は、「悲しいことをそのまま歌にしても、人は感動しない。悲しいことの一歩手前にある切なさこそが歌になるんだ」と言っていたが、noriboooooneという男は、おそらく生まれながらにしてその極意を身につけているのではないだろうか。
 ともに小っちゃいオッサン同士、きっと何かの共通点でもあるのか? そういう意味で、是非ともnoriboooooneに「二代目・阿久悠」を襲名してほしいと思っているのは、僕だけだろうか? たぶん僕だけだろう。まあ、僕も言うほどは思ってないし。

 そのnoriboooooneとは対照的に、残る5人のメンバーたちは、まさに大人しい羊たちの群れである。

 髭にメガネに帽子とトレードマークだらけでビタエンの音にスパイスを振りかけまくるスパイシー鈴木(ゴレンジャーでいうところのキレンジャー)。ほとんどなびかせない長髪でビタエンを良くも悪くも引っかき回すdie-bone(キン肉マンでいうところのキン骨マン)。たまに調子を外すトランペットはもちろん、コーラスにライブ告知にデザインにと幅広く活躍する紅一点のMiss obone(焼きそばでいうところの紅ショウガ)。動かず喋らず笑わず、ひたすらにビタエンの音楽の屋台骨を支え続けるwatabone(耐震偽装でいうところの足りなかったほうの鉄骨)。そして、脳みそがだいぶ訛ってるくせに、ここぞというときのノリと笑顔とドラムテクニックだけは抜群なsabone(ロックバンドでいうところのドラム)。
 そんな自分たちの行き先もわからない羊たちを、小さいくせに勝ち気な牧羊犬のnoriboooooneが、ときには吠えて追い立てながら、ときにはケツにガブガブと噛みつきながら、2年以上の歳月を経て形にすることができたのが、先日リリースされた彼らの待望の3rdアルバム『KILL BLUES』だ。

「言い訳を殺す」という意味を込めたタイトルがつけられたこのアルバムは、彼らが「なぜ自分たちは音楽を続けるのか? なぜ音楽から離れられないのか?」と自問自答し続けた中で生まれた作品である。
 未発表曲がまだ数十曲はあるという彼らが選んだこの10曲は、今、ある意味での過渡期に差し掛かっているビタエンの、「今のままで決して満足してるわけじゃないんだぜ!」という意思表示なのだ。
 noriboooooneがライブ中のMCでいつも語っているように、ビタエンの楽曲にはいつもモノ作りに関わる人間の苦悩や空しさが込められている。それは、音楽や映画、漫画、本、お笑いといったエンターテイメントだけでなく、世の中のありとあらゆるモノを作り上げたり、生み出したりしている人なら誰もが一度は感じたことのある、一種の共通言語だ。
 その象徴的なメッセージのひとつが、今回のアルバムの1曲目であり、今のビタエンの代表曲でもある「暗夜航路」の歌詞の中にある、
生き抜くための傲慢さに苦しくなっても、迷わず行けよ――
 という一節。
 この一節は、そうした多くのモノ作り人だけでなく、他でもないnoriboooooneが自分自身に向けて放った、励ましの、そして、決意の言葉だと僕は感じている。
 負けず嫌いでロマンチストのnoriboooooneのことだから、これほどまでの作品を生み出してもなお、その成果に決して満足することなく、きっと今頃は、次のアルバム、いや、次の次の次のそのまた次のアルバムのことでも考えながら、ボロリロリ〜ンとギターを奏でていることだろう。
How long,How long,How long does it take place they want to go?――彼らが目指す理想郷は、一体どんな場所なのか?
 
 決して沈黙しない羊達と美声で吠えまくる牧羊犬から届いたこの珠玉の11曲を聴きながら、そんなことをしみじみと感じているうちに、結局はこんなに長い原稿を書いてしまった友達思いの僕なのである。


八木 賢太郎(ライター) 


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